今年も何とかアンフィに行くことが出来た。
リーライおつかれさまでした🥲
今年のリーライは歴史もので、舞台は幕末。開国直前の幕末を生きるキリシタンの佐吉を主人公に、現代へと続く壮大なストーリーが繰り広げられた。個人的に、今このタイミングで見ることが出来てめちゃくちゃ良かったなあと思った作品なので、自分の日記的な感覚で記録に残そうかなとおもう。
(以下とってもネタバレ)
無知で飲み込まれやすい馬鹿な若造なので、太閤が歴史(佐吉から見た場合の未来)を語り、自分の理想とする未来を語った時、正直一理あるなあと思ってしまった自分がいる。
かみやさんをすきになって、追いかけるようになってから6年。
あのころ小学6年生で12歳だった私は、大学の推薦を貰って、高校卒業間近で、選挙権を得た。18歳になった。時の流れはとってもはやい。高校生のお姉さんだと思ってた人はみんな成人したし、自分でさえその高校生という属性が消えようとしてる。
中学生くらいのときの、ただ純粋に未来を夢みて、かみやさんの姿に理想の自分を重ねているだけの自分はもういない。自分は思ったよりも何も出来ないし、期待していたよりも全然しょうもない人間だってことにも気がついた。18歳。免許もクレジットカードとかも作れる年齢になって、責任も増えて。「成人」になる日も気づけばもうすぐ。来年成人年齢下がるらしいし。てか決まり的には19に成人なるの、まじで何?
成長するには、権利を得るようになるからには、知らなければいけないことがたくさんある。ぼんやりと調べて、ぼんやりと考える中で、見えてきたのは漠然とした未来への不安だった。
私が大人になって、この国はどうなるんだろう。私が責任を取らなくちゃならない年齢になって、ずっと年下の子たちに対して、私に出来ることなんてあるんだろうか。将来、子供を育てるような立場になんてなれるのかな。わたしには知らないことがあまりにもありすぎる。
銀河さんが語る言葉には説得力があって、堀江さんの伝え方には心を掌握するような力があって、それらの影響もあって「確かに、今みたいな世界じゃなかったのなら……」と、本当に考えてしまった。終わったいま思えば、わたしはそれくらい悲観的になっていて、自分が思っていたよりいろんなことが不安だったんだな、と気づくことができたけど。
漠然とした不安を思い起こしていたとき、佐吉の言葉に思いが溢れた。
「この人たち、不幸なんだろうか?」
そんなわけない。
こんな贅沢な空間で、こんな良質なエンターテインメントを全身で感じることが出来て。不幸なはずがないのだ。
神谷浩史さんはわたしの人生そのものだ。
神谷さんのことを、今この時になっても心の底から尊敬できて、大好きだと胸を張って言うことが出来る。そんな存在に出会えたこと、またこうして会いに行くことが許される世界になったこと、そのすべて、しあわせ以外のなんだというのか。
画面いっぱいに映される観客の姿を見るのは、正直ちょっと共感性羞恥みたいなものもあるんだけど、こちらに向けて言葉を向けてくれていることへの気持ちが何万倍も勝った。
きっとわたしは、もうちょっと希望を抱いたっていいのだ。佐吉いわく、まだ絶望しきった目をしているわけではないそうだし。
現状に甘んじるとか、そういう考えは全く無くて。変えなきゃ行けないことも、変わらなくちゃならないことも沢山あって、このままじゃもちろんいけない。でも、起こりうる未来を悲観するだけじゃ、幸せになんかなれないよね。
佐吉があの時見た未来は、どんなものだったのだろう。出会いを、別れを、真実を、いっぺんに味わった佐吉が、それでもなお希望を抱くことのできた「その先の未来」は、どんな景色なのだろう。佐吉ですら朧気にしか覚えていないそれを、私たちが知る術はこの先もめげずに生きること以外には無いのだ。そして佐吉が希望を持った未来に向けて先頭立って進まなきゃいけないのは、それを実現させなきゃいけないのはわたしたちなのだ。
人生のターニングポイントにはいつも神谷さんの存在があって、今回もまた、神谷さんをきっかけとして、前よりも少しだけくっきりと、未来を見据えることになった。
"その"声に不幸かと問われて、はいそうです、と答えることは出来ない。きっと暫くできない。いま不幸だと感じている人を否定するつもりとかは全然ないけど、少なくともわたしはまだ自分は不幸であると言い切ることは出来ないから。
一時の不安や悲しみにすべてを投げ出したくなった時が来たら、「不幸なんだろうか?」と問いかけてくる"その"声を思い出したい。そうじゃない、と言えるうちは、きっとまだ大丈夫。
「ようこそ」と誇らしく言える未来を作れる大人に、なりたいなぁ。