これは私がSnow Manという希望に出会って、佐久間大介というアイドルが「担当」になった話だ。
ここからはこっ恥ずかしいはなしをつらつらと述べていくのでとりあえずいったんD.D.のMVを見といてください。もうシンプルにひたすらにこの曲が大好き。全人類聴いてくれ。
本題。
早速自分語りで申し訳ないのだが、本当に、シンプルに"ついてない"日々を送ってる。自分ではどうしようも無い類の不幸が重なってるという意味の「ついてない」。
それでも、明日も生きていこう、と思えたのは、間違いなくSnow Manに出逢えたからだ。
ガッッッツリバッチリにデビュー出のド新規オタクだから、何かを語る資格など持っていないんですけど、シンプルに私の世界が明るくなったという話だけさせてください。
言い訳として先に記しておきたいのが、わたしは過去の彼らについてほぼ何も知らないと言って同然である、ということです。私は絶対に「今」じゃないと彼らに出会えなかったし、「今」じゃないと彼らをすきになれなかったし、「今」の彼らじゃ無かったら好きじゃなかった、そう思って生きてます。長い歴史があって、たくさんの重いの詰まった過去があっての、今の9人のSnow Manがある。その過去に圧倒的な感謝の気持ちを持ち、私は、今の9人のSnow Manを応援している。残念ながら私は過去を生きることは出来ない。今を見ることしか出来ない。だから、今とこの先の未来を見て、応援する。そう決めています。
じゃあ、なぜ「今」にこだわるのか。さっきも書いたように、ごくごくシンプルに今がこれまでに無くめちゃくちゃにしんどいから。それに尽きる。
小学生の時に、とある声優さんに出会って、エンターテインメントのすばらしさを知った。その人が所謂私の「最推しさん」だ。
それからはそれを生き甲斐として生きてきた。最推しさんに会うことが1番の生き甲斐だけど、最推しさんをきっかけとして私は「芸能、芸術を楽しむ心」を得ることが出来たので、いろんな界隈にお邪魔してきた。
ラウドロックバンドのライブに行ったり、ミュージカルを見に行ったり、朗読劇を見に行ったり、舞台を見に行ったり、コンサートに行ったり、スポーツ観戦も大好きだ。
多くの人間が血のにじむような努力と膨大な時間をかけて、その一瞬を作り上げる。その刹那が大好きなのだ。これは最推しさんの言葉の受け売りだが、エンターテインメントとは、「何かを受け止めて、それを明日への糧すること」だと私は思っている。
その言葉の通りに、私はたくさんのエンターテインメントをエネルギーとして生きてきた。
そうやって過ごしていたのだが、エンタメに一喜一憂している場合ではなくなってしまった。
突然祖父を2ヶ月のうちに一気に亡くしたのだ。2人ともそんなに重大ではない容態で入院し、それから1週間程で亡くなってしまった。あっという間に居なくなってしまった喪失感、それを感じるのは私だけでなく、家族みんなだ。それに、人が亡くなった後というのは、想像していたよりも忙しなかった。諸々の契約、保険、お金の事、それからお葬式などの諸々の儀式も。「心を亡くす」と書いて「忙しい」だなんて、上手いことを言う人がいるもんだなぁ、なんて思う。
そしてそれに加えてこの世情。このブログを読むような皆さんもきっと同じだと思うけれど、エンターテインメントを生で感じる機会が失われてしまった。わたしはこの3月にいろんな界隈を全部引っ括めると5現場ほど予定がありましたが、全部が中止に。4月もひとつありましたが、それも中止。
大事な人を一気に二人も亡くして、悲しそうにする家族を見て、大好きな人にも会えない。
しかもどれも、私にはどうしようもない事象。仕方の無いことなのだ。
だからこそ、とにかく苦しい。平気なフリをしていても、悲しいものは悲しい。家族の手前、私がめそめそしていたら1番良くない立場なはずなのに。
できることなら、明るい私として家族と接したい。
そんな中、私が偶然にも出会ったのが、Snow Manの佐久間大介さんでした。
出会いは単純。シンプルにスノストの中で顔がいっちばん好みだった。友人の影響でジャニーズJrの知識も少しあったし、スノストにも少しだけ興味があった。デビューの少し前にやっとしっかり顔を見た時に佐久間さんの存在にやっと気が付き、こんなに好みな顔をしたジャニーズに出会うなんて!ハチャメチャにドキドキしたのだ。しかもなんという事だ、まさかの彼と私にはアニオタという共通点があったのだ。今までの経験上、ついつい表舞台に出ているオタクは好きになってしまう。更に彼はうたプリ履修済みの上、理想のアイドルは矢澤にこちゃんだと語る……!これが一番の運命だった。私にとっての理想のアイドルはずっと、女の子は矢澤にこちゃんで男の子は一十木音也くんだったのだ。そんな私の理想を、彼は知っている。一気に彼を知りたくなった。
そこからはなかなかのスピードだった。まず初めに、ハマってしまうから……とずっと敬遠していたジャニーズJrチャンネルの動画をしっかりと見始める。
オーバーサイズのアニメTシャツを主に着るところ、天真爛漫なキャラクター性を見せ続ける姿、独特かつ時々アニオタな私と一致する語彙、パフォーマンスの動画では一転して放つ妖艶かつ近づけないようなオーラ、キリリとした唯一無二のその瞳。どんどん佐久間さんのことを愛しいと思うようになった。
それから、生まれて初めて「少年倶楽部」をリアルタイムで視聴する。ジャニーズ文化にまともに触れたことがなかった私にとっては割と革命的なことだ。あのNHKホールの空気感はやっぱり独特で、それでも少クラにしかないあの感覚と、そこで輝く佐久間さんが好きになった。
葬儀に向かうために学校からそのまま母方の実家へ向かった日、忙しなさと焦りと悲しみとその他いろいろなネガティブな感情に浸りながら乗った特急電車で買ったアクスタと三枚の写真はわたしの大事な思い出だ。ほんの少しの勢いでした小さな買い物、それが私の希望になった。家に佐久間さんが来てくれるのが嬉しかった。私には楽しみがあると思えた。それが道しるべだった。
放課後にデビューシングルの「D.D.」も買った。MVのカッコイイ佐久間さんに目が離せなくなって、マルチアングルの岩本さんを見てまるで恋に落ちたかのような気持ちになった。
何度も何度も、繰り返しD.D.を聴いた。
YouTubeバージョンのMVも何度も繰り返し見た。
アーティストチャンネルの動画も繰り返し見た。ライブ映像を見て、そのパフォーマンスに圧倒され、幸せになった。
本屋さんでドキドキしながらananを買った。そのアイドル観と、視線や仕草から香る特別な存在感に胸がいっぱいになった。
びっくりするほど長くて、びっくりするほど考えられていて、びっくりするほど優しさに溢れたブログを、何度も何度も読み返した。
ぬるま湯で生きてきた私が今までに感じたことの無いようなどうしようも無い苦しさの中で、私のそばでSnow Manが笑顔をくれた。
「君の傍にもっと 笑顔溢れるから 一緒に描こう輝く物語」
Snow Worldの歌詞そのまんまだなぁ、と日々思っていた。
そうしてだんだんと、佐久間さんの持つ佐久間さんにしかない世界観が見えてきたような気がして、気づいたら夢中になってのめり込んでいた。輝くあの瞳から目が離せなくなっていた。
ネガティブかつ被害妄想が激しい人間だから、アイドルは裏切るものだと思っていた。し、今もどこかでそう思ってる。勝手に期待して、勝手に裏切られて、いつか勝手に悲しくなって終わってしまうものだと思っている。自分の理想は割と高いような気もしていたし。
だから3次元のアイドルにハマりたくなかった。私のその理想を生きている人に押し付けたくなかったし、叶えてくれるとも思っていなかった。それに、自分の人生がめちゃくちゃになってしまいそうだったし、彼らを肯定できるだけのエネルギーを私が持っていると思えなかった。
でも、Snow Manはそのエネルギーを持っていた。私に「彼らを応援したい」とどうしても思わせてしまうようなエネルギーを。佐久間大介は私の背中を押してくれた。いつもたくさんたくさん考えて言葉を伝えてくれて、いつでも弾けるような笑顔をくれて、佐久間大介にしか魅せられないその世界を披露してくれた。そんな彼らを見ていると、不思議と「彼らを応援したい」と思える、私は持っていないと思っていたエネルギーが湧いてきた。
ハマったのがデビューしてすぐのあたり、だいたい2月手前くらいから。彼らが私にとっての特別になって行くのと比例するかのように、私の日常が苦しくなっていった。それでも、佐久間さんの姿と、Snow Manの9人の姿は確実にこの2ヶ月の間に度々訪れたどうしようもない苦しみの中で、私にとっての一筋の光明なのだ。
言葉には出来ないことを、言葉では表せないものを、彼は持っていた。佐久間さんのあのパフォーマンスの前では言葉はなんの意味もなさなかった。私はどうにかして言語化したいと、自分の気持ちの記録をつけたいと思っている人間なので、今もこうやってまとまらないまま文章を打っているけれど、だからこそ圧倒的に言葉が無力になった佐久間さんのパフォーマンスに夢中になった。
板の上に立つ、必死で私たちにみせてくれる「佐久間大介」は、まさに私にとっての希望そのものだった。そんな佐久間さんになら、私の新しいジャニヲタとしてのもうひとつの新しい人生を掛けてもいいと思えた。
ジャニーズのファンクラブに入ったこと、私には大きな大きな人生における転機であると思っている。ずっとずっと入会することを渋っていたけれど、佐久間さんは私に"確信"させてくれた。
声を大にして言いたい。
こんなん、ラブの大革命だよ、佐久間さん。