腑に落ちるまで

ただのDDなんで優しくしてください。

それ以外の言葉を知らない

気づいたら2020年がヌルッと終わって、さっさと来てくれと願っていた2021年になっていた。し、なんならもう2月の半ばに差し掛かってきた。こわい。

 

2020年、たくさんの新しくて大切な出会いがあって、人生が大きく変わった1年だった。今後生涯大切にして行きたいと心から思える推しに出会えて本当に幸せなのだが、昨年をいい一年だったとするのだけはどうしても癪だ。

だって、17歳、華のセブンティーンのわたしの1番大切なイベントは間違いなく「Kiramune presents Kamiya Hiroshi LIVE TOUR 2020 Sunny Box」なはずだったんだから。

 

「ああ、これがきっと"推し"なんだ」と、初めて思った存在だった。それがいつかなんてこと、さっぱり思い出せそうもないけれど、あの時に感じた衝撃だけは忘れられない。そのときからずっと「このひとがいちばんに好きな自分でありたい」という気持ちだけは変わっていない。もちろん、環境が変わり、出会いがあり、私も推しが増えたり減ったりして、その時々の優先順位が存在しているのは紛れもない現実だけれど。いろんなところをふらふらしたけれど、行き着く先はぜったいにかみやさんで、そうであることを実感するのは、現場以外には無いのだ。おたくよりも、きっとかみやさんのほうが生の現場を大切にしてくれていると私は感じているから。

だから、生で会えないこの現状において、かみやさんにとって音楽は必要なのかな、とずっと考えていた。

求めてくれるなら答える、最大限の力をもってこたえてくださる、それがかみやさんだと思う。わたしのかみやさんのすきなところはそういうところだ。私にとって、求めることとはすなわちその場で伝えることで、共にいる空間で声をあげる事だ。でも、最大のそのステージが途端に全て失われてしまった。そこにあったのは、正直な話どうしようも無い絶望感だけだった。このまま、会えないまま終わってしまうのかな、会えないのならば、終わってしまう方が幸せなのかな。とずっと考えた。そんな中、ボイスメッセージでかみやさんが伝えてくださったのは、思いもしない近況報告だった。「ピアノを買った」。驚いた。かみやさんにとって、音楽は忌み嫌うものだけではないのかもしれないと思った。まだ望んでいいのかもしれないと思った。

思えば出会った時からそうだった。私が好きになった頃、theaterが発売された頃。私がシアターという作品に感じたのは終幕の香りだった。このままフェードアウトする未来をぼんやりと、何度も想像した。だけど、今もこうして新しいシングルの告知があって、今日もかみやさんの音楽の世界は続いている。

かみやさんにとって、かみやさんの歌がどんなものかはわからない。でもわたしにとってかみやさんの歌ほど大切にしたいと思える作品はこの世には存在しない。たくさんの色を持つ人を好きになっても、いちばんに大事な色は紫なのだ。

界隈DDに成り果てたわたしの「いちばん」はきっと響かない。様々な側面のいちばんが存在しているし、そんなことなんたっていえる。でも、だからこそこう言い切りたい。

 

私にとって、神谷浩史とは「人生」だ。