腑に落ちるまで

ただのDDなんで優しくしてください。

DGS“が“特別

 

神谷浩史小野大輔の Dear Girl ~Stories~ 15周年記念イベント、

Festival Carnival 15年祭

横浜公演、両日行ってきたよーーー!!!

 

 わたしは、DGSというコンテンツに出会ってからずっと、DGSの何もかもが好きで(バカデカ主語)、どのイベントも大泣きしてしまっているんだけど、例に漏れず、今回も気づいたら涙が出てきてて、やっぱり私の原点はここなんだなあ、とものすごく実感できた。

DGSの存在と、これまで積み重ねてきた時間を噛み締めて泣いて、ステージ上で行っていることがあんまりにもバカバカしくて涙が乾くまで笑う、ここまでがDGSのワンセット。それがすきだ。

 突然の思い出話なんですが、わたしは、かみやさんが4年?5年?前のSURVIVEで語った「思い出には勝てない」って言葉がこの耳で聴いたその日からいまもずっと忘れられないままずーーっとおたくしてきました。どんな現場に行ってもその言葉を思い出してしまうくらいには。

決して塗り替えられることの無いかけがえの無い思い出と、それとは別に更新される幸せな記憶とが共存してて、神谷さんのこの言葉は、本当だけど、ちょっとだけほんとうじゃないなあ、なんて無責任に思いながら、それでもその言葉を抱えて生きてきた。かみやさんにとっての、「勝てない」思い出ってなんだろうなあ、とずっと思いながら。

だけど今回は、なんとなくそれをいい意味で塗り替えてくれたステージになったような感じがしている。

今年のED、僕たちの轍の歌詞がまさにそれの象徴のような歌詞たちで紡がれていて。様々な逆境とそれによる変化が必要とされる今この時代において、かれらが紡ぎ続けてきてくれたある種の「あたりまえ」を崩さないためにそれを受け入れて前に進み続けてくれたその歩みと、そこから得られた新たなこの先への希望を感じれる歌詞になってるなあと思う。

なにがすごいって、これ高垣弟こと高垣雄海さん作詞なんですよね。作詞常連組ではない、ってところがなかなかにくるものがある。何が感動したのかって、DGSのたのしさって歴が長い人はもちろん、新しく聴き始めた人にもきっと伝わるだろう、と思っていて、それを証明するかのように、満を持して1番新しいサブ作家でもある高垣雄海さん作詞の「僕たちの轍」が選ばれたところなんですよ。

出口のない夜でも

戻りたいあの場所も

進んできたから君に会えたんだ

「僕たちの轍」神谷浩史小野大輔

この歌詞、先述した「思い出には勝てない」のフレーズを個人的にはすごく想起させて。あの時のこの言葉、めちゃくちゃ記憶に残ってるって人たぶん私以外にも少なくない数いると思ってて(内田さんもブロマガで話題にされてたくらいだし)、あのときの神谷さんの言葉を受けてのポジティブへの変換、みたいなところをすごく感じるんですよね。なんかこう、上から目線っぽくて自分でも言語化してムズムズするんですが、あのころはどこか後ろ向きな今までの時間の積み重ねが、いまとなってはすこし前向きに変化したなあと個人的にはココ最近感じていて。あの時の言葉を直接聴いてないにしろ、それから変換されたものと似たようなとにかく前向きに変換されたエネルギーをDGSの座組では1番新参である高垣弟さんが受け取ってくれたのがものすごく嬉しくて勝手に誇らしくおもってしまいます。

僕たちの轍の話をまだまだしてしまうのですが、おふたりが好きな方ならご存知の通り、かみやさんとおのさんに共通するテーマって「空」なんですよね。晴れ男のかみやさんと、雨男のおのさん。実際かみやさんのイベントはまあよく晴れる。だけども必ずしも100%なんてことはなくて、もちろん雨とか曇り模様の現場の日もぼちぼちあって。それこそ去年のかみやさんのソロライ、大阪一日目は雨降ってたなあ。

季節はすぐ変わって 空の色も自分勝手

それでも目指すべき場所はココ 君といる今日だ

「僕たちの轍」 神谷浩史+小野大輔

アイデンティティのひとつとして、そういう属性が確立してこそいるものの、必ずなんてものは無い。天気はもちろん、そういう不確定要素って生きていく上でやっぱ沢山あるなあって、最近は特に痛感していて。それこそ、イベントを経てついこの間2016年のDGS EXPOの円盤を見返してたら、皆が黄色い歓声を沢山上げてて、もはや不思議な気持ちになってしまった。もう声出していいよーって言われてもどこでなにしたらいいか分かんなくなっちゃうなあなんておもったりもして。10周年のイベントをしてる時、5年後声が出せない状況になってるなんて想像もしてなかったし。そんな風に、いろんな意味で環境とか時世とか時間って自分勝手だーと思ってしまうくらいどうしようもない。そんな不確定性が増した世の中で、DGSを「目指すべき場所」としてくれるのがほんっっっとうに幸せ。コロナ禍において、顔を突き合わせて対面で(もちろんマスクやパーテーションを設置した上で)ふたりのトークを変わらずに続けてくれたラジオ、私が聴いているいくつかのラジオのなかで本当にDGSくらいでした。リモートで行うという選択ももちろん正しいのだけれど、ある種の「あたりまえ」を(このフレーズ何回言うねん)、大事にしようとしてくれたその制作側の意識その物が嬉しい。先述の通りスタッフ陣の中では1番新参の高垣(弟)さんもそういう思いを理解しておそらくらQRのブースにいてくれてるんだなあ、と思うと、同じようなものを見ていられているんだな、良さが伝わっているんだなあ、とこれまた上から目線みたいになるけどすごく嬉しくて。高垣弟(敬意を込めて)、ほんとに天才だよ。有難う。

そういったことを思い返して、今回セトリ入りはしなかったけど「タイセツの鍵」の歌詞が改めて染みています。DGSが聴ける日々、いつも新鮮で楽しくて嬉しくて、それを「あたりまえ」とも「ありきたり」とも思ったことがもののいちどもなくて。正直あんまりピンと来なかったっていうのがこの曲への感想だった。でもこのご時世、改めて「あたりまえ」が必ずしもそうでは無くなったからこそ、これまでの「あたりまえ」を「あたりまえのまま」にしようとしてくれているというそれがあまりにも嬉しくて愛おしい。

私たちリスナーとラジオであるDGSってのは「健康でさえいれば毎週会える」関係性で、それが「あたりまえ」なことに、すごくすごく意味があるなあと、15年祭を経て改めて心の底から思えるようになった。健康第一

 

15年祭の好きなところ、基本的に全部だけど、やっぱり1番はおのさんが「ラジオって特別だなあっておもって」って言ったのに対してかみやさんが「ラジオというかDGSが特別」って返してくれたくだりだなあ。

だってやっぱ、ラジオって普通劇場版を3作もやらないし、パーソナリティの家に押しかけてメイド喫茶をやらないし、ドリアンを食べないし、コミカライズ化しないし、ゲーム化しないし、そもそもぴあアリーナMMでイベントをやらない。どれかしらは当てはまってたとて、たぶん全部が当てはまるラジオ番組ってDGSくらいだと思う。あったら教えてください。でも、DGS"が"特別っていうのは、そういう「奇抜なことをたくさんしている」という点じゃなくて、それの裏にあるエンタメへの多大なる希望と期待 にあると思ってる。15年祭を経て改めて感じたけど、パーソナリティだけじゃなくて、DGSをつくるために周りに居るスタッフ、ほんとうに全員根っからのエンタメ馬鹿ばっかりなんですよね。面白かったらそれでいいよね、みたいな。逆に言えば、面白いことをするためならなんでもやる。みんなが楽しくなるためならどんなに辛いカレー(隠語)にも耐える。そういうひとたちの集まり。そのエンタメへの希望や自由な発想を、DGSというコンテンツで爆発させているような気がしている。そしてそれが出来るのは、エンタメへの信頼はもちろん、そのような共通認識を持っているであろう、というスタッフとパーソナリティ全員がお互いを信頼していることにあるとおもっています。このひとたちなら面白いことをしてくれる、リスナーがDGSにそう思っているのと同じく、スタッフ陣はパーソナリティに、パーソナリティはスタッフ陣に、そういった確信を持っているんだろうなあ。

さいごのMCだったかな、かみやさんが「悲惨なことがあっても〜」って仰ってたんだけど、なんか「悲惨」っていう言葉選びにものすごく刺さるところがあった。これは私の勝手な思い込みだと思うんですけど、かみやさんって自分が思ってないことって多分あんま言わなくて。だからきっと、このご時世になって「悲惨だ」と感じたことがあったから、いまこういう言い回しをされてるんだと思って。でも、そんな悲壮感溢れる言葉選びをしていたのに、かみやさんはステージの上で物凄く楽しそうにされてて。それすらもエンタメに、おもしろに変換して、ああやって笑ってくださってるんだよなあと思うと胸がいっぱいになる。しあわせだなあ。さっきも言ったようにそのスタンスはかみやさんだけじゃなくて、おのさんも、そしてそれ以外の沢山のスタッフさんも、みーーんな同じ気持ちでいて下さってて。DGSの中にいまあるそういう前向きな共通認識がすごく好きです、あえて言葉にするなら、みんなでひたすらゲラゲラワッハッハできるコンテンツづくり、だとおもいます。たぶん。わたしてきには。

ここまで書いてなんなんですが、改めて思い返して考えてみて、あの時、かみやさんが後ろ向きだった理由って「シンプルバカ体調悪かった」に尽きるのではないだろうか………………。推測に過ぎないけど……。あれから、世間的に本当に「健康」の大切さが謳われるようになって、神谷さんも今まで以上に健康に生きることを意識されるようになったのかもしれない。かみやさんはここ2年くらい毎回「こうして会えるのは皆様が日常を丁寧に過ごしてくださってるお陰」と仰ってくれるんだけれど、その裏には誰よりもかみやさんが「丁寧に生活してるから今健康である」という自負が多少なりあるからだと思うんですね。わたしがいま健康に元気に生きてられるのなんてシンプルに運がいいだけだと思っているけれど、この先もっとたくさんのかみやさんとの思い出を残すためにも、かみやさんに恥じないように、これからの日常もっと丁寧に生きていきたいなあ。

 

DGSのイベントは、その時のop曲で始まり、その時のedで終わる、という毎週のラジオと地続きな構成がわりかし恒例で、私もそれが大好きで。でも今回は、まさかの最後に現opを持ってくる少し新鮮な構成に、!最初はあまりピンと来なかったけれど、様々な困難があって、いくつかのイベントが頓挫して……そういう背景があった上で、15周年でまた新たにスタートダッシュを切る。そういう原点回帰、みたいなのにめちゃくちゃピッタリな曲だなあと思って。「ここにいるよ」と繰り返す歌詞で締めるこの曲、今回のイベントの持つテーマとすごく合っているのも最高に良い。「健康でさえいれば毎週会える関係性」という言葉の最強の裏付け。てかMaster Piece、めちゃくちゃ振り付けがかわいい。ほんとうにかわいい。早く円盤化してほしい。どうしてそんなにかわいい?だいすき

 

グッとくるポイントも楽しかったポイントもたくさんあるけど、最終日、僕たちの轍のインストに合わせてのスライドショーと最後の「Go to the 20th」の文字を見て、自分でもびっくりするくらい大泣きしてしまった🥲 EXPOを思い出して、あれから5年、ずっとだいすきなままでいれてよかったなあという気持ちと、あの頃から変わらず、この先の未来を期待してくれているんだなあ、という気持ちと、その他いろんな感謝と感動としあわせとで涙が止まらなかった。Wアンコール始まるくらいまでずーーっと涙止まんなくて、\ダブル/ \アンコール/(野太い声) \ダブル/ \アンコール/(野太い声) の間も泣いてた。

ちょっとまって、正気?

これまでの公演で、この後15の夜を歌うという事は理解していたので、「ああ、これは意味のわからないパフォーマンスを見ながら、よく分からない涙を流し続けるんだろうな……」と己のトンチキさに対する覚悟を決めたんですが、普通に泣き止んだ。それはそうすぎる。

「こうして現地でWアンコールがきける!嬉しい!俺たちのWアンコールマン!」と思いながら泣いていましたが、15周年だから15の夜を歌うのは、筋が通ってるようで通ってない。歌ってるのはWアンコールマンだし。

冷静になって欲しいんですが、Wアンコールマンって誰? 

おもろすぎるだろ、どう考えても。 そういうトンチキ具合がもうほんと~~~うにすき。冷静に考えて筋は通ってないんですが、それに向けての展開?理論?の持っていき方が天才だからなんか

「なるほどね~~~~~」と納得してしまう。全然そうはならんのだけど。クレバーさとパワーを常に持ち合わせるDGSエンタメ力みたいなのが心の底からだ~いすきだなあとまた感じられてとても良いなあ~のきもちです。これからもずっとその凄みを感じていたい。どんなに好きなものが増えても、私の原点はここだし、わたしのパワーの源もここにあるので。ずっと特別!私の人生!それに尽きてしまうなあ

 

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Go to the 20th!!